2010/02/27

芹沢 一也、他『経済成長って何で必要なんだろう?』

経済学者が『経済成長って何で必要なんだろう? 』なたいな本に関わることに対して批判的な意見もありますが、私は良いのではと思うんですよね。現実に影響力を与えられなければ研究する意味ありませんし。正しければ採用されるはずだというのは、優れた製品ならば買われて当然だという発想と同じにしか見えないのですが。結局最近のリフレ論争の盛り上がりって、90年代半ばから続く構造改革が10年経っても効果が見えないことに対する不信感が背景にあるような。改革なんだから抵抗勢力が存在するのは当たり前です。抵抗勢力の存在に失敗の責任を帰するような弁明は、移行戦略の不在と実務者能力の不足を印象づけるだけです。かつて構造改革に期待を寄せた一人として、最近の構造改革派の主張を聞いていると残念としかいうほかありません。

結局経済学でもイノベーションのジレンマ的状況があるのかな。大恐慌にたいして有効な手だてを打てなかった新古典派がケインジアンに取って代わられる。そして、スタグフレーションを解決できなかったケインジアンが新古典派に取って代わられる。そして、デフレーション的状況がケインジアンの見直しにつながっていると。飯田氏がリフレ的主張をしている背景にはそのような認識があるように見えますね。デフレーション的状況に対して、スタグフレーション的状況に対する処方を唯一として示すのっていかがなものかという感想は最近抱いているのですが。ワシントン・コンセンサスが一時的に経済的問題は解決できても、その後の展開を見ていると政治的にはポピュリズムを助長する結果となっていることに対しては、前から疑問を感じているのですが。

まあ、リフレ派の主張自体も微妙なところは感じていて、論拠と効果に関して疑問を感じる政策や、理論的背景があるにしろ現実の運用ではどうなのよというものまでいろいろな感じ。これは、ケインジアンから新古典派への移行期に、サブライサイダーとかマネタリストが注目を集めたのと同じ状況かな。

2010/02/03

木村 英紀『制御工学の考え方』

shinichiroinaba氏が:

矢野先生の「マクロ経済学なんて最適制御理論の一種に過ぎんですよ(大意)」というご発言にもかかわらず、上級マクロの教科書でオイラー=ラグランジュ方程式が出てきてもハミルトニアンが出て来ても制御理論一般や物理学とのアナロジーが提示されているのを見たことがありません。

お買いもの - インタラクティヴ読書ノート別館の別館

というコメントとともに紹介されていた、木村英紀『制御工学の考え方―産業革命は「制御」からはじまった』を読んでみました。昔制御系がバックグラウンドな方々と同じ職場で仕事していたことがあったので、その頃の話を思い出したりしてしまいました。

まずは、制御とは何なのでしょうか。本書からその定義を見ると以下のようになります:

制御を「目的に向けた影響力の持続的行使」と定義したように、制御には必ず「目的」がある。その目的をきちんと設定することから、制御ははじまる。(同書 p.69)

望ましいふるまいをさせたい量とは、すなわち制御したい量で、これを制御量とよぶ。(同書 p.69)

このように制御のために操作する量を操作量とよぶ。(同書 p.70)

操作量は制御対象を通じて制御量に影響を及ぼす。(同書 p.70)

操作量以外の決定因子を、総称して外乱とよぶ。(同書 p.70)

「制御量の望ましいふるまい」を定量的に表したものが基準量である。すなわち制御とは「操作量を用いて制御量と基準量との差をなるべく小さくすること」ということになる。(同書 p.71)

確かに制御理論とマクロ経済学は同型の問題を扱っていると言っても良いかも。実際本書では経済学ではなじみの需要供給直線を使って制御について説明(同書 p.74)していますし。

また、「フィードバック制御vs.フィードフォワード制御」として繰り広げられている議論は、「市場経済vs.計画経済」と同様ですね。フィードバック制御とは、計測された制御量と基準量との間の誤差に基づいて操作量を決めるやり方です。それに対して、制御対象の正確な知識を前提として、制御量を使わずに基準量(と外乱)だけに基づいて操作量を決めるやり方がフィードフォワード制御です。

フィードバック制御は、制御対象についての正確な知識が無くても制御できるという大きなメリットがあります。外乱や制御対象の経時変化などの不確定要因があってもある程度安定した制御系を作れます。ただ、制御量の変化を計測してから操作量を決めますから、変化に対しては後手に回りがちになるのは致し方ありません。そして、その問題の解析が制御理論を生んだという話が、第1章のマクスウェルによる調速器の解析の話(同書 p21-24)として触れられています。

これに対してフィードフォワード制御は、外乱が制御量に与える影響を見越した、先手を打つ制御が可能です。ただし、操作量と制御量の関係が完全に分かっている、外乱が正確に計測できその制御量への影響も完全に分かっているなど、制御対象に関する正確な知識が要求されます。そして、その要求を満たすことは現実には難しいという問題に直面します。

フィードバック制御の特徴は、市場経済の利点、景気変動の問題とそっくりです。そしてフォードフォワード制御の特徴は、計画経済が市場経済に対して優位にあると主張されていたことと、現実にぶつかった壁と同じといえるでしょう。

そのように考えるとフォードフォワード制御なんか有害無益、フィードバック制御だけで良いとは行かないのが現実の問題の難しいところ。制御にあたっては次のような計測の問題があります:

センサーが正しい情報をもたらさないと、フィードバック制御はうまく働かない。それどころか制御系全体に大きなダメージを与える。悪いセンサーを使うくらいなら、フィードバックをやめるべきである。(同書 p.83-84)

経済を制御対象としてみた場合、得られた情報の正しさに関しては大いに議論になっていますね。最近でも『日本経済新聞・経済教室「財政政策,効果巡り大議論」 - 岩本康志のブログ』のリンク先の記事のような論議が繰り広げられていますし。では、フィードバック制御(市場経済)をやめるべきかというと、いまのところ最もましな制度であるというのが現実です。そしてフィードフォワード制御しようとしても、繰り返すようですが次のような事態に陥りがちなわけで:

しかしフィードフォワード制御が有効性を発揮するのは、制御対象の特性がよく分かっていることが絶対の条件である。先手を打ったつもりが、相手の反応を読み違え、逆に外乱の影響を助長してしまい、何もしない方がかえってよかったということは、日常生活でもしばしば経験することであろう。

活発な学問領域というのは、逆に言えば良く分かっていないことが多いということです。そして経済減少を正確に測定することもできない。そうすると、工学的には次の記述にあるように両者の組み合わせというのが現実解となるわけです:

ただしフィードバックは、対策が後手に回ってしまうこともあり得るのが欠点となる。そこで一番よいのは、フィードバックとフィードフォワードを組み合わせて使うことである。事前に得られるだけの情報をもとに、考えられるすべての必要な手を打っておき、事がはじまってからは進行中の自体を十分認識し、予期し得なかったことが起これば間髪を入れず修正するのである。制御にかぎらず、あらゆる計画の実施はこのように実行されるべきであろう。(同書 p.81)

ある範囲内の振動ならフィードバック制御の方が効率的に制御できるでしょうけど、自然現象などは正負のフォードバックが複合した系であるため、一定範囲では負のフィードバックが働いて安定した動きをしてしていても、範囲を超えると正のフィードバックが働いて急激に不安定になることが多いんですよね。もし正のフィードバックによって安定した挙動を示す領域から大きく逸脱してしまった場合、フィードフォワード制御(積極的な経済政策)で戻すというのが現実的でしょうね。それ以外はフィードバック制御(市場経済)に任せた方が効率的。経済学において現実的な政策とされているものと変わりませんね。

そして、理論を現実に適用する場合、最大の制約条件は「測れるか」という問題です。

それぞれの計測器は、それぞれの開発の歴史を持っていて、制御の歴史は計測の歴史と軌を一にしている。ある量を測るセンサーが開発されたことによって制御が実現した事例は数多い。(同書 p.84)

「測れないのに理論を精緻化してどうしたいの?」とどうしても思ってしまいます。経済現象にかぎらず、社会現象の測定しようとしても、

  • 現時点では測定手段がない
  • 費用的に測定できない
  • 測定の精度に欠ける

という問題に直面します。制御でもロバスト制御とか工学として使えるような研究が進んで現実の問題への適用が進みました。計量経済学の進展にも期待したいところですが、測定できることから理論構築する研究に期待したいところ。