2010/12/27

藤藪 庸一『「自殺志願者」でも立ち直れる』

クリスマスがミトラ教の神の再生の祭儀が起源であるという有力な学説に基づくと、クリスマスイブというのはその華やかな雰囲気とは裏腹に、本来は一番死というものに近しい時なのではないかと、そのような考えを内心巡らせながら迎えた今年のクリスマス。まあ、そのような考えを表に出して雰囲気をぶち壊しにするほど無粋ではないので、そのような考えを表に出すような真似はしませんでしたが。また、ブログでもクリスマスから少し時間の立ったいまこのエントリーを書いています。

そのようなことを内心考えているときにふと目に止まったのが、藤藪 庸一(著)『「自殺志願者」でも立ち直れる』。著者は、白浜バプテストキリスト教会の牧師であり、白浜にて自殺者救済活動、生活自立支援活動、自殺予防策活動を行っているNPO白浜レスキューネットワークの代表も務められています。

死について最も近いと感じる時、(再)生が間近なときなのだろうかと、クリスマスに関する先ほど書いたような考えと絡めた感想をいだきました。夜明け前が一番暗い。It's always darkest before the dawn.

2010/12/26

池澤 夏樹『本は、これから』

最近、日本でも電子書籍が本格的に立ち上がりそうな雰囲気になって、その是非について議論をよく見かけるようになりました。そのような論議を見ると、昔イノベーション普及の歴史については『イノベーション普及学 (イノベーションの普及)』を読んだりとか、色々学んだことを思い出します。池澤 夏樹(編)『本は、これから』は、さまざまなバックグラウンドを持ちつつも本を愛する方々が、電子書籍と既存の書籍の将来について語ったものを纏めたアンソロジーです。様々な意見の持ち主がそれぞれの独自の観点から主張していて、電子書籍に関しても、その受け取り方は積極的なものから、否定的なものまでさまざま。テレビが登場した時もこんな論争が繰り広げられたんだろうなとか、電子書籍の読書体験はむしろ巻物の時代に逆戻りしているという見方は一理あるなとか、色々連想をふくらませながら読みました。ただし、私が見落としているのかもしれませんが、日本の出版会における、雑誌と本との絡みから見た論説が見られなかったことが不思議です。

日本の書籍では「書き下ろし」という言葉があります。既に雑誌などに掲載された文章ではなく、当初から書籍として書かれたものに対して使われます。そして、いわば書き下ろしということが特別な響きを持って受け止められています。実際、専門書、実用書を除く一般書では、まず雑誌等に掲載された連載小説、随筆、記事等があり、それを「本」という媒体にまとめて出版されたものがどちらかと言えば主流でしょう。それ故、雑誌の衰退が出版の危機として受け止められているのでしょう。まあ、大量に出版されつつある(あった?)新書だと「書き下ろし」の方が多い感じですが。

それに対して、米国だと本は「書き下ろし」がむしろ一般的、むしろ「書き下ろし」という概念が無いといったほうがいいかも。まず熱心な読書家向けにハードカバーで高価格で販売され、時間差をつけてより広い読者層に向けてペーパーバックで販売されるというビジネスモデルでした。だから、それほど懐に余裕のない読書家は、ブッククラブに入って年間購読形態の割引価格で買うんだとか。

米国でKindleがヒットしたのも、ハードカバー本の出版とほぼ同時期にペーパーバック並の価格で買えることが大きかったようです。それ故、ハードカバーの売上減に神経を尖らせる出版社との軋轢もありました。例えば「Amazon、MacmillanのKindleでの値上げ要求に降伏―消費者の判断は?」とか。

そのような出版事情の違いを考えると、むしろ日本のほうが電子書籍が受け入れられる素地があると思うんですけど。雑誌の連載スタイルで販売するスタイルは、有料メルマガがビジネスとして受け入れられつつあるのを見ると商売として成り立つはずです。あと、「「シングル版電子書籍」が持つ可能性」という記事にあるように、Amazonが『Kindle Singles』という形で30~60ページ程度の短編物を販売することを発表しています。さらにページ数の少ない書籍の販売だと、単価的に決済コストが一番のネックになると思いますが、Kindle、iBookのような少額決済が可能なプラットフォームを使うか、最近PayPalが発表したようなマイクロペイメントをうまく使えばクリアできそうです。

読者のほうが携帯端末で読むという行為を受け入れるかという問題もあります。しかしながら、日本は携帯電話や携帯ゲーム機の普及状況を考えると、携帯機器で文章を読むという事に対して、それほど抵抗があるとは思えません。本という形態へのこだわりは分からなくはないですが、読書家であれば単行本として出版される前に、雑誌として読んでいるものも多いのではないですか。特に、小説とか随筆とか。本へのこだわり程、雑誌という形態へのこだわりは感じ無いんですが。

で、案外実用書とか専門書の方が技術的な制約で読者としても辛いです。文字だけだら問題はないのですが、図表等と地の文を照らし合わせながら読もうとすると、ある程度の大きさがないと読み辛いです。それはネットブックで論文を読もうとしたときに痛感しました。あと、特に細かな数式とかあると、できれば300ppiくらいの解像度はほしいところです。Kindle DXが1200x824で150ppiで、iPadが1024×768で132ppi。ただ、iPadはカラーですから、カラーを諦めてグレースケールにすれば、もしかすると現在でもぎりぎり達成できるのかな?

でも紙の本が消滅すると思っているかというと、当面無理だろうなと思ったのは、リチャード・ジョーンズ (著)『ナノ・スケール 生物の世界』を読んだ時です。

もし本が生き残るとしたら、本書でも触れられていましたが、芸術、工芸の方面なんだろうなと思った次第です。使い捨てカメラのヒットで街中で至る所に見られたDPE店はデジカメの普及で街の中からすっかり姿を消してしまいました。でも、専門技術をもった写真館は今でも生き残っています。

テレビが普及しても、未だに映画は製作され楽しまれています。ただ、映画を観るのとテレビを観るのは全く別の体験です。だから、今の本のあり方を「電子書籍」にそのまま持ち込むという発想ではうまくいかないでしょうね。これからどのようになるかはまだ見えていませんが、電子と紙は関連しつつも別のメディアとして成長していくことでしょう。

ちなみに私はといえば、紙の感触とか使い勝手よりも、その占有面積と重量の方が悩ましい状況にあるので、普通に使えるようになる日が来るのを待ちわびている方です(汗)。