2011/06/15

塩野七生『十字軍物語2』

塩野七生(著)『十字軍物語1』は、十字軍運動が発生し、第一次十字軍によってイェルサレムがキリスト教徒の手に渡るまでが描かれていますが、『十字軍物語2』では一転、第一次十字軍移行の寡兵でなんとか領地を防衛しようと苦闘する十字軍の姿と、最終的にサラディンによってイェルサレムがイスラムの手に奪還されるまでが描かれています。

なぜ寡兵で戦い事になったのか、それは当時の政治体制に原因があります。現代の戦争は、基本的に組織対組織で戦われます。ゲリラ戦でも、あくまでも組織化されています。国家(State)という概念がある程度固まってくるのは絶対王政が確立された頃でしょうし、さらには国民(Nation)という概念はフランス革命以降でしょう。しかしながら、「国民国家」という概念が成立する前の戦争では、組織対組織というよりも、リーダーと、そのリーダーのもとに集まった戦士の集まりの戦いです。それ故、リーダーが集めることが出来る集団の大きさによって、戦力が決まってきます。なので、当時の戦争は現在の目から見れば小競り合いが続いているように見えます。そして、王であってもそのあたりの事情は同じで、王がどれだけの力を発揮できるかはすべて、王がどれだけ人を引きつけ、または従わせる力を持っているかにかかっています。

イェルサレムの王とは、遠いヨーロッパに住む人の眼には強力な地位に見えた。だが、実態ならば弱体であったのだ。だからこそ個人の人間的な魅力が、より大きく影響してくることになるのである。

(中略)

だが、この「力」とは、軍事力だけを意味してはいない。あの人にならば従いて行く、と諸侯や兵士たちに思わせるのも、立派に「力」なのである。リーダーには、カリスマとするだけでは十分でない、いうに言われぬ人間的な魅力が求められるのである。

(本書 p.48)

そしてイェルサレム王でも、その「力」のあったボードワン四世が亡くなり、「力」を持たないルジニャンが王についた時点で、ある程度その命運は決まってしまいました。そして、その時イスラム側には、現代にまで語り継がれるほどの「力」をもったサラディンが登場することにより、第一次十字軍の成果はほぼ失われ、イェルサレムもイスラムの手に戻ることになったのです。

サラディンの素晴らしさに関しては今更述べるまでもありませんが、本書の中で特に興味を惹かれた人物はバリアーノ・イベリンです。イェルサレム開城交渉にあたってのイベリンのとった行動は、絶望的な状況の中でも出来る限り最善の結果を得ようとする、まさに指導者の見本といえるでしょう。イスラム軍の指揮官サラディンの優れた作戦と、対照的なイェルサレム王ルジニャンの稚拙な行動により、十字軍側の歴史的な敗北として終わった「ハッティンの戦闘」により、十字軍の戦闘力はほぼ失われ、イェルサレムは完全に孤立してしまいました。サラディンがイェルサレム攻略にとりかかったとき、防御側の指揮官はかろうじて脱出に成功したイベリンでした。五日間の戦闘のあと、イベリンはサラディンに会談を申し入れまたした。結果的にはイェルサレムに立て篭もったキリスト教徒が無事に解放されるまでの行動を、著者はイスラム側の記録をもとに次のように記しています。

イベリンは言った。あなたは早晩、イェルサレムを手中にする。しかし、今のままでのイェルサレムを、手中に出来るとは思われるな。われわれは、最後の一人が死ぬまで闘いつづけるだろう。

まず、市内に五千人はいるイスラム教徒は、その全員を殺す。さらに、イェルサレム市内にあるイスラムのあらゆる聖所、岩のドームからアル・アクサから祠にいたるまでを、破壊しつくすことを誓う。

サラディン、あなたは、イェルサレムの征服者にはなるだろう。だがそれは、破壊され炎上し何一つ残っていない、キリスト教徒だけでなくイスラム教徒の大量な血にまで塗られた、イェルサレムの征服者になるだけなのだ。

(本書 p.281)

救援の望みもなく、絶望的な状況ですから、下手に出て哀れみを乞うことも出来たでしょう。でもイベリンは初めに敢えて強気に出ました。相手によってはこの発言の通りの結末になりかねない危険な駆け引きですが、サラディンの目的は「イェルサレムという都市」の攻略ではなく、あくまでも「聖地イェルサレム」の奪還でしたら、この強気の発言は次の交渉を有利にすすめるための伏線になっています。

サラディンは、黙ってしまった。それを見たバリアーノ・イベリンは、今度は口調を変えて話し始めた。この時期のイェルサレムには、トーマス・ベケットの事件で険悪化したローマ法王の心情を良くしようと、聖地防衛資金の名で英国王ヘンリー二世が送ってきていた、三万ディナールに相当するカネがあった。イベリンはそれを、陥落後には殺されるか奴隷にされることが確実な、イェルサレムに住む「フランク人」たちの見受け代に使おうと考えていたのである。ゆえに、サラディンとイベリンの間での対話は、身代金の交渉に移っていったのだった。

(本書 pp.281-282)

初めに強気に出たのは、同胞を守るための見受け代の交渉を相手に飲ませるためのものだったのです。この交渉術が見事にはまって、ほぼすべてのキリスト教徒が奴隷や捕虜にされること無く、イェルサレムから無事に解放されました。この当時、集まった戦士への報奨は、獲得した捕虜の身代金や、払えない場合は奴隷に売ることでまかなっていましたから、ただ単に開城しただけでは市内にいるキリスト教徒が捕虜や奴隷にされるのは必至の状況だったはずです。たとえサラディンといえども、殺戮は止めることができても捕虜をそのまま解放することは出来なかったでしょう。まず、配下の戦士たちから不満が爆発したでしょうから。最悪部下が反乱を起こしかねません。相手がその高潔さを敵味方問わず賞賛されたサラディンだったこともありますが、この時のイベリンの行動は最悪の事態において、的確に状況を判断し、最後に守らなければいけないものは何で、そのためにはどのように行動すべきか決断できたイベリンの行動も賞賛されてしかるべきでしょう。このストーリーは、江戸を火の海にする覚悟を示すことで、逆に無血開城の交渉を成功させた故事を連想させるものがあります。

最悪の事態に際しての行動が、リーダーとしての資質が最も良く分かりますね。まあそのことに本当に痛感させられている今日この頃ではあります。

2011/06/12

高橋 誠『かけ算には順序があるのか』

高橋 誠(著)『かけ算には順序があるのか』を読んで、「6人に4個ずつミカンを配ると、ミカンは何個必要ですか」という問題に対して、「6×4=24」という式を答えとして書くと、計算結果は正解でも式そのものは不正解とされるのはなぜかという論争を考えなおしてみました。自然数では交換法則が成り立ちますから、交換法則を知っていれば不正解という採点には納得いきませんよね。

本書では数学教育の歴史を絡めて分かりやすく書かれています。本書によると、量に関して現在の数学教育では、加法性が成り立たない内延量と、加法性が成り立つ外延量に分け、少なくとも初等教育の段階では量に関する計算は「内包量×外延量=全体量」という表記法に統一すべきであると考えて指導が行われているとのことです。これは「内包量×外延量=全体量」という表記が一般的であるという考えに基づいています。

遠山啓は、連続量の「内包量と外延量という計算」について、「もし乗法の交換法則を連続量にはまだ適用しないほうがよいとしたら、これを外延量×内延量と書かないほうがよいだろう」と、1960年に書いていました(『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ 5 量とはなにかI』所収「量と比例」130頁)。

(本書 p.38)

ただし著者も例としてあげているように、実際には「個数×単価=金額」という表記も使われていますし、物理量などで量の次元を考えると、「内包量×外延量=全体量」という約束事にそれほど意味があるとは思えません。第一、漢数字で三億とか書きますけど、これは「3×一億=三億」と解釈するのが自然ですから、「内包量×外延量=全体量」という表記を特別視する必然性を感じません。その点からみると、「内包量×外延量=全体量」と書かなければいけないという理由から、「6×4=24」という式を不正解にするという指導にはやはり違和感があります。

そのような観点を考慮した上でこの論議について再考すると、量を数で表記したときに、次元を省略しているという点が、問題のポイントであるように思えます。少なくともこの式を正解とすべきか不正解とすべきかは、省略された次元を明示しない限り確定できません。もし、「6(人)×4(個/人)=24(個)」と解釈して書かれた答案ならば正解とすべきです。逆に、「6(個/人)×4(人)=24(個)」と考えていたならば不正解です。

この問題でむしろ教えるべきは、量を数で表現するときには、計算を簡略化するために次元を省略しているということを常に忘れないということではないでしょうか。暗黙のうちに表された次元を失念すると、ジェイコム株大量誤発注事件のように、株式の誤発注で大損失とか、ギムリー・グライダーのように飛行中の航空機の燃料が不足するとか、思わぬ危険を招き寄せることになります。この論争に関しては、乗法の交換法則にばかり注目が集まっています。この問題を考えるときには、むしろ量を数で表現したときに、その量の次元を意識するという事のほうが、現実には重要であると考えます。