2012/05/19

斎藤誠『原発危機の経済学』

技術とは絶対安全なものに出来るのか?または絶対安全なものでなくてはいけないのか?その疑問に対するヒントを次の資料から得ることができます。
火というものは、人類が手にした最も古い技術の一つですが、この白書の統計を見ても分かるように未だに絶対安全なものにはなっていません。この白書に述べられているように、絶対安全なものには出来ないことを前提に、社会としてその危険性が許容可能なものに収まるように、いまだに努力が続けられています。薬とは結局のところ、「有益な作用が有害な作用を大きく上回る毒」であると見ることができます。益と害のトレードオフはどのような技術にもつきものであり、そのトレードオフをなんとか調整しながら発展してきたのが文明です。
現在の原発再開問題が迷走しているのは、原発の危険度に応じた総合的な運営体制に不備があったからこそ、福島第一原発事故という事態にいたってしまったにもかかわらず、運営体制の見直しに関する明確な取り組みがいっこうに見えてこないことが一因です。斎藤誠『原発危機の経済学』では、経済学者の視点から原子力発電全体の運営について、問題点の分析から今後の施策の提言を行なっています。
経済学者という原子力発電の素人がこのような提言を行うことについては、異論がある方もいるかも知れません。しかしながら、本来の工学とは単なる新技術の開発にとどまらず、技術がもたらす便益と、コストやリスクとのバランスに関する意思決定を行うというタスクを含んいでいます。その視点を持たない人は、「Engineer」ではなく「Engineering technologist」または「Engineering technician」です。このあたり、「工学」という日本語と「Engineering」という英語では、一般的な受け止められ方が微妙にお子となって異様に見えます。
例えば、EngineeringについてAmerican Engineers' Council for Professional Developmentがかつて次のような定義を与えています。
The creative application of scientific principles to design or develop structures, machines, apparatus, or manufacturing processes, or works utilizing them singly or in combination; or to construct or operate the same with full cognizance of their design; or to forecast their behavior under specific operating conditions; all as respects an intended function, economics of operation and safety to life and property.
Engineers' Council for Professional Development. (1947). Canons of ethics for engineers
この定義から分かるように、経済学的な視点というものは光学的な意思決定を行う上でも欠かすことの出来ない要素の一つです。もちろん、経済合理性だけで決断できるものではなく、原子力発電のような大きな危険を伴う技術に関しては、社会心理学的な視点からの合意形成など、多角的な視点が必要とされます。
本書は、経済合理性という観点から見て、はじめから結論ありきでその結論を導くための論証を行うのではなく、あくまでも得られた情報にもとづいて冷静な分析を行なっているという点で、その分析結果についての賛否はともかく、一読する価値があります。
このように書いていると、いかにも現在の経済学のパラダイムにどっぷり使っているように見えるかもしれませんが、私自身はと言えばいろいろ疑問に思うことがあります。それも、多くの人が指摘するような合理性に関する問題ではなくて、効用と貨幣価値、主体の相互依存性、取引の不可逆性に関する問題です。取り返しのつかない問題に関してどのように合理的な判断を行うのか、例えば生死に関わる問題に関して、サンクコストとして考えろというのが受け入れられないからこそ、いっこうに合意形成がなされないのでしょうから。原状回復が容易なら、リスクをコストとして評価してコストと便益のトレードオフとして考えて十分です。でも、死んだ人を生き返らせることが出来ないという、取り返しがつかない問題に関して言えば、リスクと便益のトレードオフは分けて考える必要があるでしょう。私としてはこれからの経済学に期待したいところです。

2012/03/11

あれから1年

東日本大震災から1年。そういえば最近ブログ更新していなかったということで、簡単ながらエントリーを投稿します。
私自身の居住自治体は放射性物質汚染対処特措法の汚染状況重点調査地域に含まれていますし、親族等が津波の被災地域にいる関係で色々生々しい話も聞きました。そして思ったこと、考えたことを書き連ねていきます。
日本人はリスク回避志向と言われています。しかしながら日本に居住するという時点で巨大なリスクを抱えていることを改めてつきつけられました。日本人はリスク回避志向なのではなく、すでに十分なリスクを抱えています。その様な環境のもとでは、不確実性の持つ正の側面に目を向けてチャンスと捉えるよりは、不確実性の持つ負の側面に目を向けて生き残りを図るという傾向が生まれるのは当然のことです。
ここで問題になるのはリスクというのは無くすことは出来ないということ。どんなに管理、制御しようとしても姿形を変えることができただけ。例えば、いま復興の遅れが指摘されていますが、結局災害に対する十全な備えと、迅速な生活再建という、トレード・オフの関係にある目標の間で、どのようにすればいいかのか合意形成が難航していることにあります。何らかの評価尺度に基づいて決めるということは、同時に評価尺度に盛り込まれなかった事項は考慮しなくても構わないという決定を下したということを意味します。そして、現在復興に関して決定を遅らせているのは、何を考慮すべきか、その重み付けをどうするかの合意形成が困難を極めているから。平時の都市計画でも合意形成に難航を極めていましたから、復興計画が現状のような自体になることを予想された専門家の方も多かったのではないでしょうか。
不確実性のある状況下でどのように意思決定を行うのか、リスク管理に携わっていた時からの問題だったのですが、改めて私自身の課題としてみたいと思っています。